エアギターと能

「現代は正義と不正とがはっきり分かれて互いに対決していると言う事はない。いかなる戦争の条件にしても、その最前線に於いては一つの正義と、もう一つの正義との、つまり正義同士のぶつかり合いの不条理によって支配されている。」寺山修司

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数年前よりエアギターが流行っている。
だが、ヘビメタ歴25年のキャリアを持つ先輩によれば、かつてのエアギターはある特定のアーティストの微妙な癖やしぐさを真似しつつ、運指すらも完璧にコピーした高度な技術だったらしい。つまり、実演する側はもちろん、見る側にも相応の技術や造詣を必要としたわけだ。

ところが今のエアギターは「雰囲気」だ。大衆化するにつれて、高度な技術よりなんとなく面白くて分かりやすい人が人気になってきた。お笑い芸人がエアギター選手権を席巻するのもその良い例である。

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何事も、特に芸術においては、大衆化(資本主義においては褒め言葉)することで、演出者、観客両者ともに質の低下が見られる。
大衆化=ビジネスとして成功する事が大義とされる風潮に異を唱えると、オタク、キモイ、マニアぶっていると簡単な言葉で却下する人間が多い事が、質の低下に拍車をかけている。

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例えばおいらの好きな能。この演劇の難解な台詞は現代日本人が聞いてそのまま理解出来るとは言いがたい。理解するためには、台詞、あらすじ、意味など「予習」した上でないと難しい。
おいらが一番好きな謡曲「井筒」のあらすじは伊勢物語在原業平を知っている前提で話が進む。単に古語を理解出来るだけではだめで、古典に対する知識も要する。

で、これだけ学んだ後に何が待っているかと言えば、ミュージカルのような単純明快な劇では到底表現し得ない幽玄で深淵な美しさだ。先の「井筒」では、「里女」「紀有常の娘(在原業平の妻)」「在原業平」三役を1人が一つの動作で演じる。たった一つの動作で、三者三様の気持ちを表現する訳だ。この一動作から得られる衝撃は、テレビやミュージカルでえられるお手軽な「感動」とは大きくかけ離れている

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つまりだ、大衆が愚昧な快楽のみを求め、彼らに合わせる事が成功とされる現代では高い芸術が生まれない。また、生まれたとしても、世間で地位を確立するにつれ、無知な大衆にあわせて軽薄に堕してしまう。いい加減、分かりやすい事が正しい事という認識はやめるべきだ。分かりやすい事は、堕落だ。
そして、未知の存在に対し軽薄な言葉で拒否を表現する事は、知識に対する怠惰だ。

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と、エアギターの話を聞いて思いました。

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ちょっと前の話なんだけどね、舛添が内閣に入ったから支持率が上がったときいた。
なぜだ?
彼は、国会議員になる前となった後では言っている事が全然ちがう記憶がある(具体的に何の話だかわすれた。これよくない)
彼は自分の置かれた立場から発言する。
安部内閣を批判するなら内閣に入るな。社保庁のデータ整理とか出来ないのに気軽に約束してやぶるな。
彼は、言ってる事は威勢がいいが、なにもしてないな。

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彼はテレビで分かりやすく威勢のいい事を言うため、実行力が無いにもかかわらず支持する人間が多いのだろう。
大衆は分かりやすい事にしか興味を示さなくなっている。
情報過多の中で、自ら推考しする時間はなく、ただただ押し付けられる情報を受け入れるのみである。押し寄せる情報で理解出来ない物は拒否という選択肢かない。

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で、やつは「残業代0法案」という名称をやめて「家庭だんらん法」にしようといいやがった。つまりホワイトカラーゼグゼンプション。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070911-00000076-jij-pol

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これね、日本のものづくりに重大な危機を与えると思っている。ただでさえ、低下している日本のものづくり技術。
しかし、日本経済をささえているのはものづくり技術。
IT?金融?コンテンツ?全部世界では通用してない。
で、ものづくりというのはとにかく時間がかかる。
まず試作は失敗の連続だ。そんなことエジソンですら言ってる。試作が成功しても、今度は生産だ。ソフトウェアと違って、一個できたからあとはコピーで終わり、と言う訳にはいかない。これが大変だ。トラブルの連続。とにかく何をするにも時間との勝負だ。

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こんな家庭だんらんでみんな定時に帰るはずもないし、帰ったら日本の産業はおわるだろう。
そういったこと考えてるのかね?こいつは。